あるまたんのとある一日

気分は移り変わる。四季と共に。

過激な表現はとても人間的なのだと思う。

 

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あるまたんです。

 

 

 

衝動的に書いているので、手短に内容を話したいと思います。

 

 

 

 

今現在、深夜3時55分です。

Amazonプライムビデオでアニメ見てました。

 

ソードアートオンラインアリシゼーション編をほぼ全話見てたらこんな時間になってしまいました。

 

 

ソードアートオンラインは原作のファンでもあり全巻読破しているくらい好きな作品で、

 

個人的にとても楽しめました。じゃないとこんな時間になるまで見ない。

 

 

まず絵がめちゃくちゃキレイ。

 

 

これに尽きます。

 

戦闘シーン気合入ってんな~という感じでした。

 

 

製作者様の努力を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

本題に移ります。

 

 

 

 

 

本作を見終わった後、Amazonのレビューを見ると、

 

 

第10話のとあるシーンに関する描写が気持ち悪いという理由で低評価を付けている人がたくさんあり驚きました。

 

 

 

簡単に内容を説明すると、気持ち悪い傲慢な貴族が主人公の後輩女子を凌辱しようとする、という胸糞なシーンなわけです。

 

 

 

キレイになったとてもリアルな表情や声優の方々の演技のおかげで、とても心苦しいシーンなわけです。

 

 

 

 

 

そのシーンが単に見ていられない、ならまだしも…

 

 

「貴族が気持ち悪い」

 

「性的表現をするべきではない」

 

「精神衛生上よくない」

 

「血がいっぱい出る」

 

 

 

というコメントがちらほら…

 

 

 

 

甘ったれたコメントが目立ちました。

 

 

 

確かに、過激なシーンではありますし、中にはホントにトラウマになっている人もいるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

でもそういった表現は実際にとても人間的なものだと私は考えています。

 

 

 

 

 

私も性的表現が大嫌いな時期がありました。

 

 

 

この世界はとてもキレイで、夢と希望に満ち溢れている。

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

でも実際はすべてがそうといかないのだと知りました。

 

 

闇営業だの、ヤクザなど、わからないお金の動き方があったり、

 

お金があればこの世界は意外となんでもできるし、

 

望まない妊娠、愛情のない性行為、

 

若い女性狙った性犯罪等は増え続ける一方、

 

 

 

 

 

本当に悲しいことが多いのがこの世界なのだと。

 

 

(別に性行為が悪いものだと言っているのではない)

 

 

 

 

 

 

 

 

全ての人に受け入れられるようにキレイな表現だけを使う必要があるのでしょうか。

 

 

いや、ないと思います。

 

 

そういった表現があるからこそ、感情が揺さぶられるのではないだろうか。

 

 

 

 

これは別にアニメに限ったことではありません。

 

 

以前記事にした、中日ドラゴンズの応援歌だってそうです。

 

 

テレビの規制も年々厳しくなっている。

 

 

明らかに過激すぎる表現であれば、誰かが反論してもおかしくないけど、

 

 

いちいちやることなすことに目くじらを立ててしまうことはどうなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう長くなってしまったし、趣旨もぶれそうなので締めましょう。

 

書いてるうちにスッキリとしました。

 

上手く言葉にできてませんが。

 

 

でもやっぱり、

 

 

 

 

 

人間って面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを閲覧していただき誠にありがとうございます。

 

 

それでは。